忍務其の一『市川三郷町』を調査せよ!
皆の衆、初めましてで御座る。
『甲州おもてなし忍者 三ツ者衆(みつものしゅう)』の頭領をしておる冨田 勘五郎と申す。
我らは甲斐国、山梨県の地域活性化、観光誘致の為に日夜、甲斐国にて『おもてなし』を行っている忍び集団で御座る。
そんな我らに此度、新たな忍務が入った。
「『市川三郷町』の遺跡、伝説、魅力を調査せよ!」
市川三郷町は、山梨県の南西部に位置する町。またかつては甲斐源氏の祖、新羅三郎義光公の子、義清さまがお屋敷を建て住んでいらした土地でもあり、我らの主君、武田信玄公のご先祖様のゆかりある土地でも御座る。
そんな市川三郷町では、戦国時代よりも更に太古の昔の遺跡、もしくは巨大な王朝都市あった可能性を秘めるとんでもない物が出土されたと言う事で我らも、CIH株式会社さまの主催される調査隊へ同行して参った。
◆呉王孫権と交易のあった古代王朝?
我らがまず向かった先はこちら。
昨年の2019年に「夜景100選」に温泉施設として初の認定を受けた『みたまの湯』からも程近い絶景ポイントにある『歴史文化公園 みたまの里 狐塚古墳』に御座る。
こちらの古墳からはなんと!
三国時代、孫家三代が治めた中国江東の地、呉の国初代皇帝孫権から贈られたとされる鏡が発掘されたので御座る!!
歴史の教科書でもお馴染みの邪馬台国の卑弥呼は、同じく三国時代の中国魏の国より贈り物や封号を授かりその存在が確認されておりまするが、古墳時代にここ山梨の地にも何か大きな王朝があったとされる確たる証拠と言えるのではないで御座ろうか?
それを物語るように、市川三郷町には「大塚古墳群」を始めとする多くの古墳、出土品が発見されている。
こちらの鏡にはしっかりと呉王孫権が贈ったとされる刻印も確認されているそうで御座りまする。
山梨県と言えば、丁度日本列島の真ん中辺りに位置する土地。
海に面しておらず、四方を険しい山々に囲まれた場所で御座りまする。
勿論、人が住むには十分な場所なれどかつてこの地に海を渡り、中国の呉と交易する程の権威を持った王朝が存在した足跡。
歴史ロマンを感じずには居られない話!!
如何なる方法で、甲斐国を出て海を渡ったのか?
当時の日本の中ではどれ程の権力を持った王朝だったのか?
是非とも今度、専門家による詳細な調査を期待したいで御座るな!
見渡す限り、絶景の高台。しかし、今この足を踏み入れた場所が古墳と言われておりまする。
更に我らは伊勢塚古墳へ。
古墳は盛り土に横穴を作り、その中に棺や装飾品を納めるようになっているとの事で、最後にこう言った石で横穴に栓をするように御座る。
この大塚地区の語源は王塚が現代の"大"になったのではないかと言う説もあり、また旧三珠町の名も、拙者個人の想像では元は御霊という所から来ているのではないかと思いまする。
すなわち、王の御霊を塚にして祀る場所だったのではないかという妄想を抱き申した。
◆かつての大塚地区
現世においては、「みたまの湯」や「大塚にんじん」で注目される市川三郷町で御座るが、現在も低地ですぐ近くを笛吹川が流れその昔は麦、野菜は栽培されておりましたが、水田がほぼ無かったと言われておりまする。
そのため、村民が何度と無く水田開発の為の工夫考察し、官に申し立てをし却下されたと言う。
そんな中、土工築堤の技術に優れた薬袋伝兵衛なる百姓が、笛吹川の瀬回しを計画し数十年に及ぶ難工事を竣成させ、米を作れる地にしたと言われており、その薬袋伝兵衛の屋敷後には祠が今も存在し、桃の形をした水鉢も残っておりまする。
◆スサノオ伝説の祠
須佐之男命(スサノオノミコト)は日本書紀登場する神として、皆一度は聞いた事のある神様の名ではなかろうか?
この祠の見つかった丘も実はこれ全体が古墳なのではないか?と言う可能性もあるようで、是非今後専門家の詳しい調査がされる事を願うばかりに御座りまする。
林泉寺 さまの裏手、星野商店さまの目の前にある小高い丘の中腹から発掘された祠とお地蔵様。
この祠を発掘した星野商店さまの証言をお聞き下さりませ。
県内でもほぼ知られていないこの伝説、実は既に多くの方がこの伝説を聞きつけ県内外から訪れているという事。
こちらの場所は一般の方でも出入りして良いとの事で御座る。
斜面は大変急になっておりまする。お参りされる際は十分お気をつけ下さりませ!
◆武田家滅亡後の隠された悲劇の地
戦国ファンの皆ならご存知の通り、我らが仕えし甲斐武田家は武田信玄公の四男、武田勝頼公がご当主を継いだ後、織田徳川連合軍との戦に破れ、甲州市の天目山にて勝頼公、信勝様がご自害されその歴史に終止符を打ちまする。
ここ、市川三郷町にはその後、惨敗兵となった者が落ち延び付近の農民に施しを求めたそうに御座りまする。
しかしながら、織田徳川連合の甲州征伐によって武田家臣下に味方する者も容赦なく成敗させる世となっており、落ち延びた兵に施しを与える者無くこの地で生き絶えたそうで御座りまする。
その後、この辺りでは疫病が大変流行したそうで、「見殺しにした者の祟りだ」と囁かれる様になり、その霊を供養する為の地蔵を作り数十年前に法印堂を建て今でも手厚くご供養をされているそうで御座りまする。
近隣にお住まいの方の話では『塩山方面(甲州市塩山)から逃げきた僧』とも言われているそうで、僧の姿に身を隠した家臣なのか、本当に僧だったのかは分かっては居ないとの事で御座りまするが、長きに渡って甲斐国を治めてきた武田家の崩壊は各地でも知られざる様々な形で影響があった事が伺えまする。
◆スーパー食材、大塚にんじんを食せ!
最後に我らが向かった先は、市川三郷町名物大塚にんじんを栽培している畑!
大塚にんじんは見た目からインパクト抜群のにんじんで、長~いのが特徴。
通常60cm程まで成長するようで御座るが、ここ大塚地区はかつて八ヶ岳の噴火によって堆積した火山灰によって肥沃な土地(のっぷい)となり、長さ1mを越える大物も採れるそうに御座る!
また、大塚にんじんは一般的なにんじんよりも何倍も栄養価が高く、そしてフルーツのように甘い特徴を持っているスーパー食材!
そして、こちらの畑では大塚にんじんの他にも稀に、土器や黒曜石が出てくる事もあるようで御座る!
拙者達も黒曜石を目当てに・・・いやいや、大きな大塚にんじんを掘るべく収穫体験をさせて頂いたぞ!
拙者自身も畑で野菜を育てたりもしている故、土を弄って即座に分かった!
とんでもなく良い土質!!
聞くところによると、肥料もほぼ入れる事無く作物が育つとの事!
拙者の畑にも少し分けて欲しい土で御座る。
取材チーム皆で最後は大塚にんじんを収穫。
なんと、市川三郷町公式ゆるキャラ、市川三郷レンジャーのにんにん殿も駆けつけてくれて、収穫した大塚にんじんを手に幼き姫も笑顔で一緒に記念撮影。
にんにんと忍忍の奇跡のコラボ!!
最後は、その場で素揚げして頂いた大塚にんじんを頂いて此度の調査は終了と相成った。
普段は甲州市を中心に活動している我らで御座るが、甲斐国は広い!
そして、その土地様々な文化、伝統、歴史がまだまだ眠っていると拙者実感致しましたぞ!!
今後も甲斐国、山梨の魅力を皆にお伝えして行きまする!
最後に、合同企画のお話を頂戴したCIH株式会社さま、ご案内頂いた各ご担当者様方にこの場を借りて、深く御礼申しあげまする!!