任務其の三「行学院 覚林坊」を調査せよ。
此度もCIH株式会社さま主催の合同取材に同行し、我らは「ゆる△キャン」聖地巡礼で賑わう、山梨県身延町にある「行学院 覚林坊」さまへ調査に訪れた。
さて、皆の衆こちらの「覚林坊」と言う名を聞いて、どのような場所だと想像したで御座るかな?
実は550年前から続く由緒あるお寺なので御座りまする。
また、身延山に数ある寺院の中でも、久遠寺に次ぐ寺格として信仰されているお寺に御座る。
550年前と言うと丁度室町時代の末期にあたり、応仁の乱前後。
日ノ本が戦国の世へと移り変わる時代に御座る。
この「覚林坊」さまは、日蓮宗総本山として有名な「身延山久遠寺」よりも麓側に位置し、かつては総本山へ訪れる僧達の宿舎としても使われており、やがて一般客へも宿を開放し現在に至るとの事。
その為、「覚林寺」ではなく「覚林坊」と言う名なのだとか。
また、この「覚林坊」の開山は行学院 日朝(1442年-1500年) 上人で身延山中興の祖と言われる程多大な功績を残された高僧で御座りまする。
日朝上人は大変に勤勉な方だったとされ、後身の為に日夜写経を残され晩年には両目を失明されてしまったそうで御座る。
視力を失った後は3年もの間、堂に籠り経を唱え仏を信仰し続けた結果、再び視力を取り戻されたと言われ以来「目の神様」「学業の神様」と慕われるようになったそうで御座りまする。
この「覚林坊」さまは宿泊は勿論、身延名物の湯葉を使った精進料理₍おてらんち₎も頂く事ができまする。
食堂は6人掛けのお席とペアのお席、お庭を眺めるカウンターのようなお席が御座います。
そして、驚くなかれ!
こちらのお庭はなんと!!
我らがお屋形様、武田信玄公の菩提寺である恵林寺の開山、夢窓国師が作られたお庭なのだそうで御座る!!
さらに、お庭だけ拝見したい方には無料でご覧頂けるとの事!!
そして、こちらのお庭は上から見るとなんと「心」と言う字に見えるように作られているとの事!!
これは是非、皆の衆にはその目で確かめて頂きとう御座る!!
お庭を拝見し、お席につくと「アニメ ゆる△キャン」にも登場し、コラボ商品も発売されているあの「みのぶまんじゅう」が!!
任務中は腐った魚のような目をしておる猿ノ助も食い物を見た途端、目を見開き皿ごと食らわんとする勢いじゃ。
そして、お待ちかねの
こちらが噂の【おてらんち】
覚林坊自慢の「湯葉の桜蒸し」。
右は「幻の大豆」と呼ばれる希少な「あけぼの大豆」を使った納豆の揚げ物。
勿論、肉類は使われていない精進料理で御座るが、一つ一つのお料理がとてもおいしく肉料理以上に食べた時の満足感に満たされる品々に御座りまする。
ご飯は十六穀米で御座りました。
自称、『グルメ、食リポ担当』の猿ノ助に皆の衆に味の感想をお届けしようと思ったので御座るが・・・・。
まあ、見てやって下さりませ。
おいしいお食事をおもてなし頂き、更に我らは覚林坊の隅々を調査。
宿舎を兼ねている施設内には、数々の歴史ある陶芸品等も展示されておりまする。
こちらのお着物は、昭和初期に河口湖のお着物屋さんより寄付された品々で一着辺り200万円相当のお着物との事!!
一階と二階に計12着展示されており、なんとこちら無料で着て記念撮影もさせて頂けるそうで御座る!!
殿方には、羽織袴も無料でお貸出し頂けまする。
勿論、着付けもしていただけまするぞ!!
ただし、大変貴重な物で御座りまする故、室内でのみ着用、写真撮影が可能に御座る。
着物の価値など分かる訳もないのに、猿ノ助もマジマジと見入っておりましたぞ。
曰く「鶴が綺麗」と申しておった。
ツルっと滑ってケガしても知らぬぞ。。。
さてさて、この身延山と言う場所は戦国時代、我らのお屋形様武田信玄公とも関わりのある場所で御座りまする。
我らが武田家は越後の上杉謙信との川中島の合戦が一応の終息を迎え、相甲駿三国同盟の一角、駿河の今川義元が桶狭間にて織田信長に討たれ、お屋形様は駿河侵攻に舵を向けた際に、ここ身延山を拠点とする為、武田家へ献上するようお求めになられました。
しかしながら、身延山の僧はこの要請を拒み、お屋形様は兵を持ってこれを制圧しようと致しました。
なれど、身延山に群生する杉の木々が寺院を守る僧兵に見え、これを断念した。
と、言われているそうで御座りまする。(覚林坊 女将さん談)
もし、この身延攻めが実現していたら、後に織田信長による比叡山焼き討ちよりも先駆けて後世に悪行として語り継がれたやも知れませぬ。
歴史とは斯くも数奇なもので御座りまするな。
さて、こちらは覚林坊の開山、日朝上人の霊廟に御座りまする。
その眼前には日朝堂があり日朝上人が失明した際、こちらのお堂にて三年間修行を行い再び視力を取り戻されたと言われているそうに御座りまする。
このお堂の装飾や色合い。
お寺や神社が好きな方なら、何処となく見覚えが御座りませぬか?
江戸幕府を開いた徳川家康公を祀る神社として知られる、日光東照宮と似ていると思いませぬか?
実は、こちらのお堂も東照宮を作った宮大工が作られたそうで御座りまする。
家康公が信玄公を崇拝し、また甲斐国も手厚く憂慮された事は有名で御座りまするが、江戸幕府四代将軍、徳川家綱(1651年-1680年)は幼少の頃大変目が悪かったそうで御座りまする。
然るに、日朝上人が生前に着ていた羽織を身に着け、回復を願ったところ目の病が治り16歳にして将軍に就任する事が出来たと言われておりまする。
その為、この日朝堂の修繕にあたり徳川家より多大な支援を受けたと言う事で御座りまする。
こちらはお堂の中の装飾で御座りまするが、このぶどうの部分だけは後に塗り直しされず、当時の染料のまま現存しているとの事。
柱には桐の紋の上に、天皇家の菊の紋が!!
お寺や神社等にこの皇家を表す菊の紋が入っている事は大変珍しいとの事で御座りまする。
なお、なぜ菊の紋が入っているのかと言う事については、過去に書庫が火災で焼失してしまい、詳しい書物等も現存しておらず真相は分からなくなってしまったようで御座りまする。
こちらの日朝堂の中も一般のお客様へ開放されているとの事で御座りまするので、是非皆の衆もその目でこの歴史ある意匠を凝らしたお堂をご覧頂きとう御座りまする。
御本堂には、「水戸黄門」でお馴染みの葵のご紋が!!!
最後にご紹介するのがこちら。
桜寺栖₍さくらてらす₎
宿坊正面にあるテラスで春先には、枝垂桜を眺めながらほっと一息お茶を楽しめる場所になりまするぞ!
お寺と言う場所は、かつては学び舎であり、よろず相談所であり、ふらっと立ち寄りお茶を飲んだりそんな気軽な場所で御座りました。
豊臣秀吉が石田光成を登用した際も喉の渇きを癒す為、立ち寄ったお寺でたまたまた出会った、と言うのは有名な話やも知れませぬ。
現世においては、何か特別な理由がないと入りずらいと思われる方も多いのではないかと思われまするが、人と人との繋がりが希薄になりがちな昨今。
古き良き時代の「おもてなし」を大切に、皆を心よりお迎えして下さる覚林坊さまへ一度訪れてみては如何で御座りましょうか。
冨田勘五郎 記す
#山梨県 #身延町 #身延山 #覚林坊 #行学院覚林坊 #おてらんち #湯葉 #ゆば #あけぼの大豆 #幻の大豆 #精進料理 #湯葉の桜蒸し #宿坊 #宿泊 #ランチ #日蓮宗 #日朝 #目の神様 #学業の神様